こんにちは。
ステーキだいすきあおいです(*’ω’*)🍖
ステーキといえば低価格で旨いお肉が食べられる「いきなり!ステーキ」が有名ですよね!
私の家の近所にも店舗があるので、休日は密かに肉マイレージを貯めに行っています(笑)
そんな「いきなり!ステーキ」を運営するペッパーフードサービスの創業者であり、ペッパーフードサービスを大成功へと導いた一瀬邦夫さんですが、昨年2022年8月12日をもって代表取締役社長を辞任したとのこと!
そして新社長には一瀬邦夫さんの長男であり副社長の\一瀬健作さん/が就任したみたいです。
父親が築き上げた会社を、今度は息子さんが守り・繋いでいく🔥というのはすごく素敵なことですよね*
そこで今回は、ペッパーフードサービスの社長職を辞任した一瀬邦夫さんとはどんな人なのか、またビジネス成功のカギでもある『社内報』についてのお話も勉強になったので、皆さんにもご紹介したいと思います!
ペッパーフードサービス創業者!一瀬邦夫元社長ってどんな人?
【生年月日】1942年10月2日
【出身地】静岡県
【経歴】
高校卒業後 旧・山王ホテルに就職し料理人として修行を積む。
1970年 独立後、生まれ育った東京下町の向島に小さなステーキハウス「キッチンくに」を開業。
1985年 有限会社くにを設立。直営店の店舗展開に乗り出す。
1994年 低価格ステーキハウス「ペッパーランチ」を展開。
1995年 株式会社ペッパーフードサービスに改称。
2006年 当時史上最年長の64歳にして東証マザーズへの上場を果たす。
2013年 銀座に「いきなり!ステーキ」1号店をオープン。“立食形式の低価格ステーキハウス”で話題に。
2014年 首都圏を中心に「いきなり!ステーキ」29店を出店。
2015年 地方都市を中心に47店を出店。
2019年 500店舗以上(海外店舗含む)を展開し急成長を遂げた。
2022年 代表取締役社長を辞任。
一瀬邦夫さんは「ペッパーランチ」「いきなり!ステーキ」など次々と人気飲食店を誕生させた凄腕社長ですが、その信念の一つに“日本一働きたい外食産業の会社を目指す”という想いを持ち事業を行ってきたそうです。
というのも、1970年に開業した「キッチンくに」は手頃な価格帯が話題となり、数年で自社ビルを建てるまでに成長したのに、従業員が続々と辞めていってしまった過去がありました。
当時は社長といえども嫌われるのが怖くて厳しいことを言えず、むしろ従業員に対しフレンドリーに接していたそうです。
それなのになぜ、従業員が定着しないのか・・・
一瀬邦夫社長が出した答えは「経営者である自分に夢がないからだ」ということ。
当時の一瀬邦夫社長は一店舗で成功していることに満足し、その先の目標や夢がなかったといいます。
「そんな社長に誰も付いてくるわけがない」
「従業員たちはここで挑戦できることがなくなれば辞めていってしまう」
そう考えた結果、店舗数を広げるという夢と従業員に挑戦の場を提供するためにチェーン展開に踏み出したのです!
そしてこの店舗展開こそが、ペッパーフードサービスの上場を決意した理由であり、ビジネスを急成長させたきっかけになったのだそうです( ゚д゚)✨
『従業員の夢の実現、幸福を追求すればこその事業拡大』(by一瀬邦夫)
一瀬邦夫社長は従業員の夢を叶えることに意味があると確信し、それから毎年全従業員に書き出してもらった1年間の目標と夢を会議室に貼ることで、その夢を叶えるために事業に勤しんできました。
実際の会議室の様子↑
そして“日本一働きたい外食産業の会社”を目指すために理不尽な働き方は決してさせず、結婚して家族が増えても十分に養えるだけの給与水準とするなど、\従業員ファーストな運営/を続けていくのです。
その結果、「世界進出」や「年収1000万円以上の実現」といった数々の従業員の夢を一瀬邦夫社長は実現させてきたということで、部下からの信頼も厚かったそうですよ(*´ェ`*)💖
参考:社長の哲学/ 株式会社ペッパーフードサービス 一瀬 邦夫|doda
そんな一瀬邦夫社長が事業を行っていくうえで大事にしていたのが“社内報”です。
しかもペッパーフードサービスの社内報は毎月、一瀬邦夫社長ご本人が引退するその月まで長年に渡り文章を綴っていたというので驚きです( ゚д゚)ハッ!
社内報はどんな内容なのか、ペッパーフードサービス公式ホームページには2012年1月~2022年8月までの社内報が載っていたので、一瀬邦夫社長の社内報へ対する熱い想いを次の項目で見ていきたいと思います💡
ペッパーフードサービス“社内報”に対する一瀬邦夫社長の想い
ペッパーフードサービスの社内報は一瀬邦夫社長が毎月欠かさず文章を書いていたということですが、なぜ長年に渡り社長自らが書いていたのでしょうか(´・ω・`)??
調べてみると、その背景には“多店舗化による人の育成や意識の団結力が欠ける”という課題があったことがわかりました。
当時、1号店の成功で「これはいけるぞ!」と考えた一瀬邦夫社長は、その後1年間で10店舗をオープンさせ社員も次々に採用、新店へ配属させるなどとにかく急速な事業拡大を試みました。
ところがなんと、全店舗で赤字を叩き出し、ペッパーフードサービスは倒産寸前まで追い込まれてしまったのです!!⚡
そんな大ピンチに追いやられてようやく“多店舗化による人の育成が出来ていないこと、社長や従業員同士の団結力がないということ”に気付かされたのです。
そうして一瀬邦夫社長はすぐに決起集会を開き「どうしても辞めてほしくない!倒産もさせたくない!」という強い想いを従業員に訴え、皆の努力の甲斐あって業績もだんだんと回復していったといいます✨
この『倒産寸前』という危機を堺に、従業員に自分の信念を共有し会社として団結させる目的としてペッパーフードサービスの社内報の発行が始まったのです。
社内報はその後も、幾度の危機を乗り越えるきっかけをくれた偉大な存在。
全店舗での赤字を脱却するきっかけになった社内報ですが、その他にも社内報は会社の危機を救ってきました。
2001年、日本でBSE(狂牛病)感染牛が発見されたことでペッパーフードサービスは風評被害に合い社内全体が大パニック、客足も遠のき、危機的状況に陥りました。
この時一瀬邦夫社長は、社内報で従業員へのメッセージを書き全店舗に共有したところ、メディアや農林水産大臣の目に留まり、“社内報に綴った社長の想い”が取り上げられたことで、世間の理解を得ることができたそうです。
その他にも大阪心斎橋の店舗で大変な事件が起こったり、O-157による食中毒が発生したりと数々の困難がありました。
ですが、社内報によって自分の考えをまとめたり社会の動きや商売、お店をウォッチングする力が身についたおかげで何度転んでも事業を軌道修正できたこと、そして何より、社長自身がやると決めた社内報の発行を決意を持ってやり続けているという姿勢を従業員に見せられたというのが、ペッパーフードサービス成長の肝だったと一瀬邦夫社長は語っています。
参考:いきなり!ステーキ社長の「経営者として成功する秘訣」一瀬邦夫氏インタビュー|創業手帳
一瀬邦夫社長の引退を期に「社内報」も終了したけど、ペッパーフードサービスの挑戦は止まらない!
今回はペッパーフードサービス創業者、一瀬邦夫社長のビジネス成功の裏に隠された壮絶な背景を深掘りしてきました!!
幾度の危機がありながらも、従業員ファーストで考えた経営の先に事業拡大そして顧客満足度が得られ、大人気飲食チェーン店へと成長を遂げた✨ということがわかりましたよね。
そして「社内報」を長年に渡り休まず書き続けたその決意の強さは、まさに“継続は力なり”という言葉がぴったり当てはまるような、芯の強いかっこいい社長さんだったなと思います!!
そんな父親の姿を間近で見てきた一瀬健作新社長なので、今後も従業員の方々と一緒にたくさんの夢を叶えていってほしいです(*’ω’*)